2016年2月5日金曜日

マチュピチュを10倍楽しむことができる情報。


皆さんはマチュピチュのことをどれだけ知っていますか?








私がマチュピチュに行きたかった理由は世界遺産だからという理由と、
写真で見るこの圧倒的な存在感をこの目で確かめたかったからです。


この遺跡を見るには崖っぷちの山道をバスで登って、入場してからもしばらく階段を上らないといけません。標高が高いので酸素も薄いです。

この遺跡を見た瞬間、思わず叫んでしまいました。


「おぉーーーー!!!!!」


それほど迫力があり、インパクトが強いです。
その日も、次の日も1時間以上はただただ眺めていました。それほど見る者を魅了するパワーをもっています。


私が行って分かったことは、
「私がマチュピチュについて何も知らない」ということ。

どうしてこの遺跡がここにあるとか、いつからとか、恥ずかしながら無知でした。
きっと前もって歴史を少しでも知ってたらまた見方や感じ方が変わっていたんだろう、
と思います。

気になったらすぐ調べたくなる私。
ツアーガイドの人の説明をきいてますます調べたくなりました。
何せ未だに明らかになってないことが多いとのこと。

これから、マチュピチュのことを一つ一つ紹介するので頭の片隅にでも入れてもらえたら嬉しいです♪



マチュピチュとは?

アンデス山麓に属するペルーウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にある、15世紀インカ帝国遺跡である。
当時、インカ帝国首都クスコで、標高3,400m。マチュ・ピチュから、さらに千メートル程高い場所に、その首都があった。アンデス文明文字を持たないため、この遺跡が何のために作られたのか、首都との関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていない。

一つずつ砕いて説明します。

まず、アンデス山脈。

「なんか昔、教科書に出てきたような〜。」







はいそうです!このあたりです!!
このアンデス山脈に属するペルーのウルバンバという渓谷に沿った山の尾根に
ある遺跡です。

15世紀のインカ帝国からのものです。


「インカ帝国」説明できますか?

正解は、
南アメリカペルーボリビアエクアドルを中心にケチュア族が作った国。文字を持たない社会そして文明であった。



ざっくり言うと、南アメリカの3カ国が昔作った文字を持たない国。

ということになります。
うーん、文字を持たなくてどうやって社会が成り立ったんだろう。



え?15世紀のインカ帝国ってどれほど前なのって?

15世紀は西暦で1401年〜1500年。
今から500年以上前となりますね。その頃日本は室町時代。

そう聞くと、とてつもなく昔なんだな!ということがわかります。
足利尊氏氏がせっせと京都で室町幕府を作り上げてる時代です!(分かりづらい笑)



そんな昔から今までこの遺跡が残ってるというのがすごいです。



そして、次に。
アンデス文明文字を持たないため、この遺跡が何のために作られたのか、首都との関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていない。」



という部分。
文字を持たないため、この遺跡を作った理由もまだ明確になってません。




誰がなんのために、この遺跡を作り上げたのか。







謎が多い遺跡です。

標高3400mでとても人間が暮らせるとは思えない断崖絶壁の地になぜ都市を築き上げたのか?目的はなんだったのか?

スペイン人からの侵略から逃れるために秘密の都市を作り上げたのか?
特別な宗教目的で作られたのか?

当時、文字がなかったため確固たる証拠がありません。
全て仮説でしかありません。






これからも真実が明らかになることはなく、秘密のヴェールに包まれたままなんだろうな。





もしこれからマチュピチュに行く機会があったら、このことを思い出して欲しいです。
歴史を知ると、それを実際見たときに深く感動できます。



最後にプチ情報!

こちらマチュピチュの写真です。
よく見てください。




何か見えてこないですか?







遺跡の後ろの部分です。








ここで分かった方はすごい!!















正解は「人の横顔」です!!!
遺跡の奥の山の形が人の横顔に見えます。





偶然なのか何か意味してるのか。
どう取るかはあなた次第です!

0 件のコメント:

コメントを投稿